2014年3月29日土曜日

人道的介入の矛盾

「人道的介入」という言葉は今ではかなり一般的になりましたが、実は国際法上かなりグレーであることをみなさんはご存知でしょうか?国際関係学の大前提として、"state sovereignty"(国家主権)という考え方があるのですが、これはいかなる国家も他国の主権を侵害することは出来ないというものです。人道的介入はいくら市民の人権を守るとはいえ、根本的に他国の内政に干渉し、国土を侵す行為であることにはまちがいないのです。

さらに、問題は法的根拠だけでは有りません。人道的介入はよくselective(選択的)だと批判されます。というのも介入国は自国の便益や、国内の世論の様子を見た上で初めて動く訳で、恒久的な人権保護の価値観で行動している訳ではないからです。具体的には、現在進行形で市民の血がながれているシリアには多国籍軍は介入していませんし、内戦が未だに続くソマリアではアメリカですら状況の改善を待たずに撤退しました。

「人権」の概念の発明は近代の人間倫理の向上に大きく貢献しましたが、実際にそれを守ることを考えたときには、いまだに多くの壁と問題が有るというのが現実です。人道的介入をしっかりと機能させていくには、1)「守る責任」の確立、2)安全保障理事会や特定の大国の思惑ではなく、きっちりとした介入原則が提示できる国連部隊が必要だと思います。1)に関しては説明すると、基本的に全ての国家は自国の市民の生命と安全を保証する責任があり、それが遂行できなくなった時は他国が介入して代わりにその国の市民を保護する、という原則です。

これらの現状と課題をふまえて、国際社会が一刻も早く人道的介入の矛盾点を解決し、真に市民の安全保障に役立つものになれば、人道的介入は国際社会の中での確立されたモラルスタンダードになりうるのではないでしょうか。

LSE100〜大局観を養う授業〜

世界の有名大学にはどれも強み、売りというものがあります。LSEの場合は強みは社会科学ですが、アメリカの大学のリベラルアーツ(教養教育)に対抗するため、近年LSE100という社会科学の視点を使って大局的な問題(気候変動、金融危機、貧困問題、ナショナリズムなど)を議論するコースが学部生の必修になりました。

このコースは全学部共通なため、クラス(ゼミ)では全く違うことを勉強している生徒と議論することになります。もちろん普段やっていることがお互い違うので、大変な部分も有りますが、全く別な視点や解釈が得られるという点では非常に面白いです。

さて、そんなLSE100ですが成績は基本的にエッセイで決まります。一週間ほど前に、二つ目のエッセイの提出があり、提出日まで必死に取り組んでいました。

今回の設問は「複雑な社会的事象の分析をするにあたって、多角的な学術視野からのアプローチの強みを答えなさい。」というものだったのですが、あまりにもスケールが多すぎて、考えをまとめるのに非常に時間がかかりました。それぞれの学術的視野がどう同じ問題を定義するのか。分析方法の量的、質的な違いは何か。学問ごとのバイアスは、他の学問との組み合わせで克服できるか。考えだしたらきりがないのですが、気候変動に関する国際交渉と冷戦の終焉という二つのケーススタディをもとに、なんとか自分なりの答えをまとめることが出来ました。

ただ、こうした簡単に答えが出ない問題について考える機会が与えられることは有り難いと思います。実際にLSEを卒業した学生たちは各国、各界のリーダーになる訳ですから、正解のない中で決断を下さなくてはいけない場面に将来必ず遭遇します。そんなとき、大局的な目を持って思考できる能力が有るかないかは大きな違いとなって出てくるだろうし、それが出来る人材を輩出しているからこそ、LSEの名前は評価されているのだと思います。

答えが簡単に出る勉強は達成感が有りますが、実社会で役立つ力にはなかなか結びつきません。暗記やパターンの理解を超えた思考力が問われる勉強では達成感はなかなか得られず、すっきりしないことも多いです。ただ、そこを乗り越えることで、多少のことでは動じない、大局観を持った真のグローバル人材が誕生するのかもしれません。

2014年3月27日木曜日

Ryeに行ってきました!


いつも勉強の話ばかりしていても面白くないので、たまには休みのあいだにいろいろ行ってるイギリスの観光スポットについても書いてみようと思います。イギリス、特にイングランドと言えば湖水地方、コッツウォルズ、ウィンザー、カンタベリーなど多くの有名なスポットが有りますが、その中でもあまり知られてなくて人気なのがRye(ライ)です。ライは中世から大陸との貿易の窓口として栄え、その後海外線の後退によって港町としての役割は失われたものの、その美しく独特な街並と、おしゃれな店(アンティークブックの専門店や雑貨屋さんなど)で知る人ぞ知る観光地なのです。今回はLSEやKing's Collegeの先輩方と不定期に行っている「アフタヌーンティーを楽しむ会」のメンバーで行って来たのですが、みんな想像以上に良かったと口々に言っていました。

ライは小さな街なので、実際のところ普通に観光するのなら3時間くらいで十分です。まず食事どころのおすすめはシーフードが絶品のWebbe's at the Fish Cafeです。少々お値段は貼りますが、ロンドンで食べるよりはそれでもだいぶ安く、オイスターからアンコウまでなんでも美味しいです。おなかが満たされたら、街の中心部を通るHigh Streetに向かいましょう。High Streetではイギリスでも見つけるのが大変なおしゃれなアンティークや雑貨のセレクトショップが軒を並べています。貴重なものも多いので(19世紀の壁時計など)なかなか手が出ませんが、みているだけでも十分楽しいです。通りを抜けていくと、坂を少しあがったところにSt. Mary ChurchというRyeで一番大きな教会があります。この教会は世界で現存する最古の塔楼時計を所有しており、未だに時間を刻み続けています。さらにその教会の塔には実際に上ることができ、街と近隣の村の様子を一望する眺めが待っています。最後にどうしても逃せないのが、Mermaid Innという1420年から同じ場所にある有名なホテルです。見た目からしても十分古いのですが、その格式からか、ジョニー。デップやジュディ・デンチなど有名人も多く訪れています。今回はトライできませんでしたが、ティールームも人気のようです。一通り散策し終えてつかれたらここでアフタヌーンティーをとるのも良いかもしれません。

ロンドンに飽きた方、イングランドのあまり知られていないスポットに興味の有る方はロンドンから1時間半で行ける、童話に出てくるような素敵な街並が待っているRye(ライ)を訪ねてみてはどうでしょうか。




イギリスで初めての生ガキです!

エビ、ニシン、カニ、イカ、タコなど新鮮な魚介類も頂きました!

メインのムール貝と白身魚の盛り合わせ

お友達はアンコウのローストを頼みました

丘を登っていくと立派な城門が!

昔ながらのお菓子屋さん

かわいらしい民家とミニ

世界で一番古い鐘式時計がある教会

協会の中ではパイプオルガンが演奏されていました

街の当時の繁栄ぶりをしめすステンドグラス

教会の塔に上ってます

昔ながらのイングランドの村って感じです



昔は海がすぐそばに有ったみたいですが、今ではすっかり平地です





ハイストリート


1420年に再建されたホテル、マーメイド・イン。著名人も宿泊しています

マーメイド・インの内部


あっという間に一日が過ぎました

2014年3月4日火曜日

ロンドンで世界を食べる

ロンドンはみなさんもご存知の通り、世界中から移民が集まってくるコスモポリタンな都市です。日本でも今、移民を将来的に受け入れるかどうかの議論が本格的になって来ていますが、移民受け入れの先駆者であるイギリスでは移民とイギリス人の対立は年々強まっており、2010年にはイギリスの首相、デイヴィッド・キャメロンが「イギリスの多文化主義は失敗した。」と宣言するほど難しい問題になりつつあります。

そういった理由から、ロンドンは以前に比べ、移民に対する受け入れが厳しくなりつつありますが、なんだかんだ言って、ロンドンの文化的に元気なのはやはり、彼らのおかげだとも言えます。実際、昨年か一昨年にロンドンの人口の過半数がNon-British、つまり外国から来た人たちで占められるようになりました。ロンドンのエネルギーは間違いなく彼らによって発信されている部分が多いと思います。

そんな国際都市ロンドンではそれぞれの移民が固まっているエリアでその国、民族の食べ物が楽しめるのですが、その中でもブリック・レーンという場所は非常に面白いです。そこは歴史的に多くの移民が住み着いたエリアなのですが、現在では日曜日にマーケットなどが開かれ、世界中の食べ物の屋台が所狭しと並びます。

僕が日曜日に行ってみたところ、評判以上の凄さで、食べ物の値段もロンドン中心部に比べれば格安ですし、本当にそれぞれの国、民族の人が屋台をだしているので、まるで異国に来たかのようです。今回は評判のベーグル(with クリームチーズ&サーモン)、たこ焼き、インドの伝統料理タリなどを食べましたが、どれも本当においしくて感動しました。特にタリは5ポンドなのに2人前くらいあって、本当にお腹いっぱいになりました。

「世界を食べたい」、そんな願望を持った好奇心の強い方はぜひブリック・レーンに行ってみてはいかがでしょうか。


2014年3月2日日曜日

力について考える

唐突ですが、みなさんは「力」"Power"についてどう思いますか。実はこの質問は僕たちのように社会科学をやっている学生にとっては非常に重要な命題です。
社会学的な解釈によると、力は社会を運営する上で最も重要な概念の一つだとも言えます。

例えばフランスの哲学者、ミシェル・フーコーは力とは「関係性」であり誰も所有する事が出来ないと主張しました。その一方で、彼は私たち自身の精神に力は内在化しており、もはや自分たちの自分たちの一部であるとも考えました。

同じくフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールは力はマルクスが主張するように資本主義によって独占されているがもはや経済ではなく社会システムそのものが、消費と象徴交換によって人々を操り幻想を見せていると考えました。

他にもたくさんの見方があるのですが、ウクライナで起こっている暴力や東アジアでの異様なパワーポリティクスを理解するためには力について考える事は非常に大切です。

またこれは僕の個人的な考えですが、人間は思考を与えられた代わりに、野生の力、すなわち、自然環境という最大の暴力から逃れられないような弱い身体を与えられたのでしょうか。その恐怖から人間は本能的に力を常に欲しているとも考えられます。もしそうならば、私たちの力の向き合い方は今後ますます大切になっていくかもしれません。

いずれにせよ、こうした事を大学一年生から真剣に考えられる事を僕は本当に幸せに思いますし、それに意味があると思って少し自分の中の自問自答を少し形にしてみました。