日本ではメディアや評論家が当たり前のように「国際社会」(International society)という言葉を使いますが、国際社会という言葉の起源を知っていますか?
実は国際社会という概念自体がかなり新しいもので、国際関係論では英国学派と呼ばれる学者たちが最初に提唱しました。国際社会は言い方を変えれば国家が主体の社会です。英国学派の学者たちは世界政府や国家を超越する権力機構が無いのにも関わらず国家がある程度秩序を持った行動することに注目しました。
そこで、英国学派は国家間の共通の規則、価値観、利益がありそれが国際政治に社会的な要素を与えると考えました。具体的に言えば、国際法や武力行使の禁止、共通の外交儀礼などがそれらに含まれるといえます。
しかしながら、現代の時代のコンテクスト(文脈)で国際社会という言葉を考える時は気をつけなくてはいけません。英国学派が国際社会の概念を考えた時点ではそもそも国として認識されていたの西ヨーロッパの国々とアメリカ、そして日本を含む一部のアジアの国だけでした。
いまの世界をみてみると現時点で国連加盟国は194カ国、明らかに当初国際社会論が議論されていた時点とは状況が違います。はたして今の世界で全ての国が共有する価値観、利益がどれだけあるでしょうか?
トルコから来ている同級生が国際的な人権保護の取り組みに関しての授業でこういいました。「国際社会って言葉は絶対に194カ国全てを含むものじゃない。現実は国際社会は一部の先進国の集合体だ。国際社会という言葉は西側諸国に利用されている!」と。
皆さんはどう思いますか?
2015年3月5日木曜日
2014年12月31日水曜日
年の終わりの雑感など
時が経つのは本当に早いもので、イギリス時間で今この投稿を書いている瞬間に12月31日になりました。
今年は本当にいろんなこと、いろんなところに行きました。一月のマルタ旅行に始まり、イースターにはベルギーとルクセンブルグ、夏にはインド、シンガポール、台湾そして今月にはポルトガルなど、知らないうちに1年で7カ国も行っていました。
また特に夏にはアジア太平洋ユース会議に始まり、京都グローバルリーダー育成カップ、そしておそらく自分が今まで参加した会議で最大規模のハーバードアジア・国際関係プロジェクトの会議など多くのイベントがあったとともに、個人レベルではJapan Times STに記事を掲載していただいたり、これまで通り地元・広島での報告会はもとより、大阪・東京においても自分の留学経験を発表する貴重な機会を頂きました。
また、人生で初めて就職活動を経験し、いきなり受けた戦略コンサルティングファーム(PWC Strategy&) は身の程知らずで正社員採用に挑戦し、そのハードルの高さに一時は自信を失いましたが、二回目の挑戦では有り難いことにフェルミ推定やケース面接の対策ができていなかったにも関わらず、なんとか4次面接まで耐え忍んでDeloitte Consultingから夏期インターンシップのオファーを頂きました。
そして何より、ついに今年で20歳になったということが自分の中では大変大きいです。もちろんイギリスでは18歳でほとんど大人と同等の権利・義務を得るのですが、日本人として「社会的に」ついに大人の仲間入りをしたという事実は他の何よりも重く感じました。今まで、自分で言うのは何ですが、「子供としては・10代としては」すごいといろんな方に言っていただいてきましたが、もうこれからはただの大人です。まだまだ精神的には成熟していませんが、「ただの」大人として自分がどうやってバリューを題していくのかというのは今の自分に取って大きな課題です。
今学期の終盤、本当にエッセイやプレゼンテーションに追われて非常に苦しかったのですが、そのときにふと「もし日本の大学に入っていたら大学2年生でこんなに苦しいほど勉強していなかったかもしれない。今これだけ勉強させられる環境にいるのはむしろ幸運なことではないか。」と思いました。この思いは特に国際関係学の単位を今年初めて取った同級生にエッセイのアドバイスをしている時に強くなりました。なぜなら、自分が話しているうちに自分でも驚くほど国際関係学の知識がついていることに気づいたからです。
年の締めくくりとして自分が強く思うのは、「今自分がおかれている環境で自分の全力を尽くす、今を懸命に生きる」ことが一番大切なことだということです。確かにいろんなことを心配したり、悩んだりするのは時として良いことです。しかし最終的に今、この瞬間の課題に全力で取り組み続ければ、最終的に良い方向に向かっていくのではないでしょうか。そんなことを考えながら、今年の終わりを迎えた僕でした。
今年は本当にいろんなこと、いろんなところに行きました。一月のマルタ旅行に始まり、イースターにはベルギーとルクセンブルグ、夏にはインド、シンガポール、台湾そして今月にはポルトガルなど、知らないうちに1年で7カ国も行っていました。
また特に夏にはアジア太平洋ユース会議に始まり、京都グローバルリーダー育成カップ、そしておそらく自分が今まで参加した会議で最大規模のハーバードアジア・国際関係プロジェクトの会議など多くのイベントがあったとともに、個人レベルではJapan Times STに記事を掲載していただいたり、これまで通り地元・広島での報告会はもとより、大阪・東京においても自分の留学経験を発表する貴重な機会を頂きました。
また、人生で初めて就職活動を経験し、いきなり受けた戦略コンサルティングファーム(PWC Strategy&) は身の程知らずで正社員採用に挑戦し、そのハードルの高さに一時は自信を失いましたが、二回目の挑戦では有り難いことにフェルミ推定やケース面接の対策ができていなかったにも関わらず、なんとか4次面接まで耐え忍んでDeloitte Consultingから夏期インターンシップのオファーを頂きました。
そして何より、ついに今年で20歳になったということが自分の中では大変大きいです。もちろんイギリスでは18歳でほとんど大人と同等の権利・義務を得るのですが、日本人として「社会的に」ついに大人の仲間入りをしたという事実は他の何よりも重く感じました。今まで、自分で言うのは何ですが、「子供としては・10代としては」すごいといろんな方に言っていただいてきましたが、もうこれからはただの大人です。まだまだ精神的には成熟していませんが、「ただの」大人として自分がどうやってバリューを題していくのかというのは今の自分に取って大きな課題です。
今学期の終盤、本当にエッセイやプレゼンテーションに追われて非常に苦しかったのですが、そのときにふと「もし日本の大学に入っていたら大学2年生でこんなに苦しいほど勉強していなかったかもしれない。今これだけ勉強させられる環境にいるのはむしろ幸運なことではないか。」と思いました。この思いは特に国際関係学の単位を今年初めて取った同級生にエッセイのアドバイスをしている時に強くなりました。なぜなら、自分が話しているうちに自分でも驚くほど国際関係学の知識がついていることに気づいたからです。
年の締めくくりとして自分が強く思うのは、「今自分がおかれている環境で自分の全力を尽くす、今を懸命に生きる」ことが一番大切なことだということです。確かにいろんなことを心配したり、悩んだりするのは時として良いことです。しかし最終的に今、この瞬間の課題に全力で取り組み続ければ、最終的に良い方向に向かっていくのではないでしょうか。そんなことを考えながら、今年の終わりを迎えた僕でした。
2014年10月26日日曜日
ロンドンのような国際都市で学ぶことのデメリット
ロンドンは世界有数の国際都市であることは誰の目にとっても明らかですが、留学生の視点でロンドンをみる場合はいくつかの点に気をつけなくてはなりません。
まず第一に、ロンドンはどの民族、人種もある一定の数がいるということです。これはつまり、簡単に自分の出身国の集団を見つけることが出来るため現地の人や他のバックグラウンドの人とほとんど交わらずに暮らせてしまうということです。
僕は高校時代に留学生・非白人がほとんど居ないウェールズで学んだため、ロンドンに来たばかりの頃は日本人がたくさんいる環境に感動しましたが、その居心地の良さにかまけてしまっては、留学している意味がないと思います。なぜなら留学で身に付くスキルで最も重要なスキルは異なる文化的環境に適応する能力だといっても過言ではないからです。
第二にイギリス留学という大きな視点で考えたときに、ロンドンに最初に来てしまうと他の場所にいかない上に、ロンドンの環境がイギリスのスタンダードと勘違いしてしまうことです。他の都市出身のイギリス人に言わせればロンドンは「全く別もの」です。ロンドンだけを知ってイギリスを語るのは非常に短絡的です。ちなみにスコットランドの独立運動も反ロンドン的な要素があったことは広く認知されています。
また、ロンドンは国際的な環境なため、「ごく普通の」イギリス人の考えに触れる機会が少ないとも言えます。地方都市にいけば今でもアジア人に対する差別などは当たり前のようにあります。こうした現実もロンドンの外に出て住んでみなければ分かりません。
ロンドンに留学することの魅力はたくさんありますが、視点を変えてみると、国際都市であるがための問題も理解することが大切です。
まず第一に、ロンドンはどの民族、人種もある一定の数がいるということです。これはつまり、簡単に自分の出身国の集団を見つけることが出来るため現地の人や他のバックグラウンドの人とほとんど交わらずに暮らせてしまうということです。
僕は高校時代に留学生・非白人がほとんど居ないウェールズで学んだため、ロンドンに来たばかりの頃は日本人がたくさんいる環境に感動しましたが、その居心地の良さにかまけてしまっては、留学している意味がないと思います。なぜなら留学で身に付くスキルで最も重要なスキルは異なる文化的環境に適応する能力だといっても過言ではないからです。
第二にイギリス留学という大きな視点で考えたときに、ロンドンに最初に来てしまうと他の場所にいかない上に、ロンドンの環境がイギリスのスタンダードと勘違いしてしまうことです。他の都市出身のイギリス人に言わせればロンドンは「全く別もの」です。ロンドンだけを知ってイギリスを語るのは非常に短絡的です。ちなみにスコットランドの独立運動も反ロンドン的な要素があったことは広く認知されています。
また、ロンドンは国際的な環境なため、「ごく普通の」イギリス人の考えに触れる機会が少ないとも言えます。地方都市にいけば今でもアジア人に対する差別などは当たり前のようにあります。こうした現実もロンドンの外に出て住んでみなければ分かりません。
ロンドンに留学することの魅力はたくさんありますが、視点を変えてみると、国際都市であるがための問題も理解することが大切です。
2014年10月23日木曜日
読むことの重要性
すでに書いたかもしれませんが、イギリスの大学(特に人文・社会科学系の学部)では毎週、山ほどの学術論文・書籍・法律を読まされます。
この夏に日本に帰って日本の大学生と話していて、イギリスの大学生が3年間でとれる科目数はかなり少ないということに気づいたのですが、それ自体が全く異なる授業の進め方に基づくもので、特にその原因になっているのがリーディングの量の多さだと思います。
一見すると、リーディングは生徒の負担ばかりが増えて、時間を食う非効率的な学び方かも知れません。しかし、僕は今苦しくても、これだけのリーディングを大学生という一番大切な時期に出来るのは非常に重要だと感じています。
例えば、国際法の父といわれるグロティウスの「自由海論」を大学2年生で全部読まされる大学が日本であるでしょうか。また大学1年生でマルクスの「資本論」を教科書やゼミのプリント以外で原文を読まされる環境が日本の大学にあるでしょうか。
確かにこれらの古典的名著は非常に何回で教授の導きなしではなかなか理解できないものです。その一方で、それらが何世紀を経ても名著なのはそれだけ普遍的な価値と重要性があるからであり、自分の思想が形成されていく大学生の時期に幅広くそうした文章に触れられるというのは有り難いことだと思います。
現代では簡単にいろんな情報の要約が手に入り、古典的名著に関しても多くの解説本が出ています。しかし、大学のゼミでディスカッションをすれば同じチャプターを読んでも多種多様な解釈があることが分かるように、自分自身の解釈を持つことはやはりたいせつなのではないでしょうか。
確かにリーディングにおわれるのはいつも苦しいものですが、その知的格闘の先には真の意味での知的充足感が待っている気がします。
この夏に日本に帰って日本の大学生と話していて、イギリスの大学生が3年間でとれる科目数はかなり少ないということに気づいたのですが、それ自体が全く異なる授業の進め方に基づくもので、特にその原因になっているのがリーディングの量の多さだと思います。
一見すると、リーディングは生徒の負担ばかりが増えて、時間を食う非効率的な学び方かも知れません。しかし、僕は今苦しくても、これだけのリーディングを大学生という一番大切な時期に出来るのは非常に重要だと感じています。
例えば、国際法の父といわれるグロティウスの「自由海論」を大学2年生で全部読まされる大学が日本であるでしょうか。また大学1年生でマルクスの「資本論」を教科書やゼミのプリント以外で原文を読まされる環境が日本の大学にあるでしょうか。
確かにこれらの古典的名著は非常に何回で教授の導きなしではなかなか理解できないものです。その一方で、それらが何世紀を経ても名著なのはそれだけ普遍的な価値と重要性があるからであり、自分の思想が形成されていく大学生の時期に幅広くそうした文章に触れられるというのは有り難いことだと思います。
現代では簡単にいろんな情報の要約が手に入り、古典的名著に関しても多くの解説本が出ています。しかし、大学のゼミでディスカッションをすれば同じチャプターを読んでも多種多様な解釈があることが分かるように、自分自身の解釈を持つことはやはりたいせつなのではないでしょうか。
確かにリーディングにおわれるのはいつも苦しいものですが、その知的格闘の先には真の意味での知的充足感が待っている気がします。
2014年7月2日水曜日
21世紀の国家論、憲法論、そして日本の行く先
国家っていったいなんでしょうか。国家という言葉はメディアでも政治でも、経済でも頻繁に使われますが、定義しろといわれると意外と言葉に詰まるのではないでしょうか。
中学校の時の地理の授業を覚えてらっしゃる方はきっと「領土、国民、主権」の三要素から構成される共同体と答えられる思いますが、国際関係学では特に国家の政治的側面を強調します。つまり全ての国家"state"は政治的集合体"polity"であるという考えです。
このような考えに基づいて、日本の国際政治学者である高坂正尭は国家は三つの体系(システム)からなると主張しました。それらは力の体系、価値の体系、利益の体系であり、高坂は共同体の人々がそれらを共有する事によって国家が成立すると述べました。
では日本の力の体系、価値の体系、利益の体系とはなんなのか。一番簡単なのは利益の体系で、日本の経済=日本のマーケットが生み出す利益は日本国民にも利益をもたらすシステムです。
価値の体系、力の体系は密接に関係しており、僕の考えではこれは憲法で端的に表されていると思います。それらはすなわち日本国憲法三つの柱である、「国民主権」、「基本的人権の尊重」そして「平和主義」です。
国民主権はその文字通り、国家の権力、権限は全て国民に由来するものであるという事です。これが日本の力の体系です。そして価値の体系はこれらの三つの原理に表されているものです。
憲法は基本的に国家の原理原則であり、それは国民を縛るためではなく、国家権力と統治機構を統制するためにあるものです。
今、日本で起こっていることはこれらの基本的な国家論、憲法論に逆行するものであり、本来なら国家の根底を揺るがす事態かもしれません。
集団的自衛権そのものの是非についてはいろんな論点があるので割愛させてもらいますが、それが勝手に閣議決定で決められるということは本来憲法をを遵守するべき立場にある政府の暴走と言わざるを得ません。
また、国民主権を明確に謳っていないイギリスにおいても憲法の改革、EUの改革、地方分権の改革においては必ず、Referendum(国民投票)が行われており、日本ではなおさら今回のような重要な懸案事項に関しては国民投票があって然りです。
確かに今の憲法はGHQにほとんど押し付けられたも同然のものであり、本来の民主国家n憲法の成立方法から考えればその正当性は弱いです。でも私は個人として、今の憲法は非常に素晴らしい理念を持った日本の財産だと信じています。
私の尊敬する白洲次郎氏は唯一の自著「プリンシプルのない日本」で「日本の戦争は日本国憲法を自分たちのものだと思えた時にやっと終わるだろう」と語っています。隣国との歴史問題、戦後レジーム、対米従属。これらの問題は私たち日本人が今の憲法を直接認めることでしか、解決していかないと思います。
憲法改正よりも、今の憲法を支持するかどうかの国民投票を行い、そして過半数の国民がそれを肯定したときにはじめて日本は前に進む事が出来るのではないでしょうか。
日本の行き先は私たちが決める、そういう気概を持った国民による国家になる事を願わんばかりです。
中学校の時の地理の授業を覚えてらっしゃる方はきっと「領土、国民、主権」の三要素から構成される共同体と答えられる思いますが、国際関係学では特に国家の政治的側面を強調します。つまり全ての国家"state"は政治的集合体"polity"であるという考えです。
このような考えに基づいて、日本の国際政治学者である高坂正尭は国家は三つの体系(システム)からなると主張しました。それらは力の体系、価値の体系、利益の体系であり、高坂は共同体の人々がそれらを共有する事によって国家が成立すると述べました。
では日本の力の体系、価値の体系、利益の体系とはなんなのか。一番簡単なのは利益の体系で、日本の経済=日本のマーケットが生み出す利益は日本国民にも利益をもたらすシステムです。
価値の体系、力の体系は密接に関係しており、僕の考えではこれは憲法で端的に表されていると思います。それらはすなわち日本国憲法三つの柱である、「国民主権」、「基本的人権の尊重」そして「平和主義」です。
国民主権はその文字通り、国家の権力、権限は全て国民に由来するものであるという事です。これが日本の力の体系です。そして価値の体系はこれらの三つの原理に表されているものです。
憲法は基本的に国家の原理原則であり、それは国民を縛るためではなく、国家権力と統治機構を統制するためにあるものです。
今、日本で起こっていることはこれらの基本的な国家論、憲法論に逆行するものであり、本来なら国家の根底を揺るがす事態かもしれません。
集団的自衛権そのものの是非についてはいろんな論点があるので割愛させてもらいますが、それが勝手に閣議決定で決められるということは本来憲法をを遵守するべき立場にある政府の暴走と言わざるを得ません。
また、国民主権を明確に謳っていないイギリスにおいても憲法の改革、EUの改革、地方分権の改革においては必ず、Referendum(国民投票)が行われており、日本ではなおさら今回のような重要な懸案事項に関しては国民投票があって然りです。
確かに今の憲法はGHQにほとんど押し付けられたも同然のものであり、本来の民主国家n憲法の成立方法から考えればその正当性は弱いです。でも私は個人として、今の憲法は非常に素晴らしい理念を持った日本の財産だと信じています。
私の尊敬する白洲次郎氏は唯一の自著「プリンシプルのない日本」で「日本の戦争は日本国憲法を自分たちのものだと思えた時にやっと終わるだろう」と語っています。隣国との歴史問題、戦後レジーム、対米従属。これらの問題は私たち日本人が今の憲法を直接認めることでしか、解決していかないと思います。
憲法改正よりも、今の憲法を支持するかどうかの国民投票を行い、そして過半数の国民がそれを肯定したときにはじめて日本は前に進む事が出来るのではないでしょうか。
日本の行き先は私たちが決める、そういう気概を持った国民による国家になる事を願わんばかりです。
2014年6月28日土曜日
ロンドンで学ぶということ
世の中には何でもあるもので、有名な教育調査機関であるQSによるBest Student Citiesというランキングがあります。2014年版ではパリが1位でロンドンが2位なのですが、ロンドンで学ぶ大学生としてロンドンの魅力を考えてみたいと思います。
まず、QSによるとロンドンはランキングにカウントされている大学、教育機関が18もあり、世界で一番アカデミックな都市だそうでです。さらに文化、ナイトライフ、国際的な多様性といった指標でも高得点をあげているそうです。
ではなぜロンドンが1番ではないのか。これはズバリ物価と、家賃の高さによる差だといえると思います。ロンドンに来たことがある人は分かると思いますが、ロンドンの物価は異常です。例をだすと、地下鉄の初乗り運賃はOysterを使っても£2.4=¥408、サンドウィッチを中心部にある店で買えば£3.5=¥595です。これだけでもいかに高いかお分かりいただけると思います。
それに加えて、ロンドンは昔から世界各国の富裕層に人気があり、中東、ロシア、中国などの新興国の成金富豪たちが投機対象として住宅物件を買いあさっており、ロンドンの不動産価格上昇率は世界でも有数で、イギリス人でもなかなかいいところに住めないという状態です。
ではこれらのマイナスファクターがあるのになぜロンドンは留学生に人気なのか?それには大きく分けて3つのファクターがあげられると思います。まず第一にロンドンはイギリスの首都です。つまりもちろん公用語は英語です。第二外国語をやればすぐに分かりますが、英語は世界でも有数の習得が簡単な言語であり、同時にマスターすれば世界中どこでも使えます。ヨーロッパやアフリカの学生にとってはアメリカに行くより、地理的にも歴史的にもつながりがあるイギリス、そしてその中心であるロンドンを目指すのは自然でしょう。
第二に文化的なバランスがあげられると思います。ロンドンはイングランドの伝統を維持しつつも、常に新しい文化を吸収しており、文化的に非常に良くバランスがとれた都市だといえます。さらにロンドンには世界中の国から人が集まっており、食生活が貧しいといわれるイギリスの中では一番美味しいものが食べられるということも学生にとって重要な判断基準だと思います。
第三にやはり治安があげられます。世界にはロンドンのようなグローバルな都市はいくつかありますが、特にアメリカの大都市やヨーロッパの大陸側の大都市と比較すると断然治安がいいです。僕たち日本人からするとロンドンはちょっと怖いかもしれませんが、銃規制があるというだけでもかなり安心度は違うと思います。
これらのファクターは一般論なので、僕なりの視点を加えると、ロンドンで学ぶことの魅力はやはり「国際感覚」を得られることにあると思います。今ではニューヨークが国連本部さえももつ世界第一の国際都市ですが、一世紀以上にわたってロンドンはヨーロッパの、そして世界の政治と経済の中心地でした。そういう意味でロンドンは真の意味で国際的なキャパシティーがあり、そしてそこに人を引きつけるだけの魅力があるのではないでしょうか。大学で言うと、世界一位不動のハーバードでも留学生比率は20%くらいといわれていますが、ロンドン大学の系列カレッジでは留学生比率50%以上というのはざらです。この数字からもロンドンの国際度が分かると思います。
要するに、ロンドンで学ぶことはただ単にイギリスの首都で学ぶという物理的なことではなく、そこにいながら世界を知ることが出来る魅力的な都市なのです。
まず、QSによるとロンドンはランキングにカウントされている大学、教育機関が18もあり、世界で一番アカデミックな都市だそうでです。さらに文化、ナイトライフ、国際的な多様性といった指標でも高得点をあげているそうです。
ではなぜロンドンが1番ではないのか。これはズバリ物価と、家賃の高さによる差だといえると思います。ロンドンに来たことがある人は分かると思いますが、ロンドンの物価は異常です。例をだすと、地下鉄の初乗り運賃はOysterを使っても£2.4=¥408、サンドウィッチを中心部にある店で買えば£3.5=¥595です。これだけでもいかに高いかお分かりいただけると思います。
それに加えて、ロンドンは昔から世界各国の富裕層に人気があり、中東、ロシア、中国などの新興国の成金富豪たちが投機対象として住宅物件を買いあさっており、ロンドンの不動産価格上昇率は世界でも有数で、イギリス人でもなかなかいいところに住めないという状態です。
ではこれらのマイナスファクターがあるのになぜロンドンは留学生に人気なのか?それには大きく分けて3つのファクターがあげられると思います。まず第一にロンドンはイギリスの首都です。つまりもちろん公用語は英語です。第二外国語をやればすぐに分かりますが、英語は世界でも有数の習得が簡単な言語であり、同時にマスターすれば世界中どこでも使えます。ヨーロッパやアフリカの学生にとってはアメリカに行くより、地理的にも歴史的にもつながりがあるイギリス、そしてその中心であるロンドンを目指すのは自然でしょう。
第二に文化的なバランスがあげられると思います。ロンドンはイングランドの伝統を維持しつつも、常に新しい文化を吸収しており、文化的に非常に良くバランスがとれた都市だといえます。さらにロンドンには世界中の国から人が集まっており、食生活が貧しいといわれるイギリスの中では一番美味しいものが食べられるということも学生にとって重要な判断基準だと思います。
第三にやはり治安があげられます。世界にはロンドンのようなグローバルな都市はいくつかありますが、特にアメリカの大都市やヨーロッパの大陸側の大都市と比較すると断然治安がいいです。僕たち日本人からするとロンドンはちょっと怖いかもしれませんが、銃規制があるというだけでもかなり安心度は違うと思います。
これらのファクターは一般論なので、僕なりの視点を加えると、ロンドンで学ぶことの魅力はやはり「国際感覚」を得られることにあると思います。今ではニューヨークが国連本部さえももつ世界第一の国際都市ですが、一世紀以上にわたってロンドンはヨーロッパの、そして世界の政治と経済の中心地でした。そういう意味でロンドンは真の意味で国際的なキャパシティーがあり、そしてそこに人を引きつけるだけの魅力があるのではないでしょうか。大学で言うと、世界一位不動のハーバードでも留学生比率は20%くらいといわれていますが、ロンドン大学の系列カレッジでは留学生比率50%以上というのはざらです。この数字からもロンドンの国際度が分かると思います。
要するに、ロンドンで学ぶことはただ単にイギリスの首都で学ぶという物理的なことではなく、そこにいながら世界を知ることが出来る魅力的な都市なのです。
2014年6月17日火曜日
グローバルに働くのは難しくない。でもグローバルリーダーになるのはやっぱり大変
今まで、一ヶ月近くブログを更新していませんでしたが、その間にLSEで1年目の最初で最後の試験があり、なんとか乗り越えることが出来ました。結果はまだ分かりませんが、よく考えたら、外国の大学で、外国語を使い、現地の、そして世界のトップの学生と同じかそれ以上の結果を目指すということはかなり大変なことだと気づきました。
この気づきに関連しているのですが、実は今の時代、日本人にとって海外に出て学ぶ、働くということはそんなに難しくないと言えると思います。しかしながら、そのグローバルなコミュニティのなかでリーダーに
なるのはやはり凄いことだと、クリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事の話を聞いて思いました。
IMFという名前はほとんどの人が聞いたことがあると思いますが、具体的に何をしているかというと、各国の通貨の安定と国際為替の調整そして財政危機に陥った国の支援などをしています。(最近で言えばウクライナなど)
その性格上からIMFは絶大な権限と影響力があり、特に発展途上国はIMFの介入を非常に恐れています。そんな国際機関のトップになるには並大抵の能力では務まりませんし、各国の首脳陣から信頼されるだけの統率力が不可欠です。
しかしながらクリスティーヌ・ラガルドは本来のフランスのエリートとは全く違う道を通ってそこまで登り詰めた人です。彼女はシンクロのナショナルチームに所属したり、フランスエリートの登竜門といわれるグランゼコールの一つENA(国立行政学院)の試験に2度失敗して、米国系弁護士事務所のベーカー&マッケンジーで働いたりとかなり変わって経歴をもっています。
そんな彼女は英語が比較的に苦手というフランス人の中でも滑らかな英語を操り、法律から財務まで幅広い知識を持っています。そしてなにより、国際機関で生き残るための政治力をもった世界最強のキャリアパーソンの一人かもしれません。
今回僕が話を聞きにいったパブリックレクチャーは持続可能な経済発展と社会的公正の実現についてだったのですが、ラガルド氏の方風な経験と知見をもとに面白い話が聞けました。
ラガルド氏によると基本的に貧困削減や、途上国における女性進出を促進するためには3つのエンパワーメント(力を与えること)が必要だそうです。
まず第一にはそうした不公平な立場にいる個人のエンパワーメント。これは公平な雇用機会の創出や法整備、不特定住所に住む人々の信用アクセスなどを意味します。
そして第二にこれらの改革を進めるには公的機関、政府のエンパワーメントが必要です。これは途上国の政府の情報公開や、オンブズマン制度の導入によって達成されます。
第三に包括的にグローバル社会でこれらの問題を解決するために、多国間主義のエンパワーメントが求められます。これはまさにラガルド氏がトップをつとめるIMFや世界銀行、国連などの主要な国際機関をよりフェアな構造に改革し、多国間協力への参加を促すということです。
こうした概念的な話は今までも何回も聞いたことがあったのですが、言葉の重みがありました。男社会の政界や、外国人が不利な外資系企業で、渡り合ってトップをもぎ取ると言うのはやはり伊達ではないと思います。
ラガルド氏のパブリックレクチャーは真の意味で「グローバルリーダー」になることの難しさを改めて突きつけると同時に,それに対する憧れを強めました。
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