2015年5月5日火曜日

就活は厳しい

今まで、いろんなことに挑戦してきて、人並みに挫折を味わってきましたが、就活でここまで苦しい思いをするとは思いませんでした。

具体的なことはあまり書きませんが、就活のいろんな場面で自分の甘さが露呈した気がします。確かに純粋な経験値という意味では留学生の中でも上位に入ると思いますが、そこで慢心して簡潔に話すべき場面で長々と話してしまったり、特に実績も無いのに驕慢な態度を取ってしまったりと、本当に自分でも情けなくなります。

でも一番辛いのは妥協することです。就活は社会人としての出発点であり、昔ほど転職が珍しくなくなった現代でも、最初のキャリアとしてどこを選ぶかは非常に重要です。その中でもちろん高望みしなければ、留学生プレミアがまだまだある日本の労働市場では、行けるところはあります。ただ自分の全力を発揮せずに安易にファーストキャリアを選んでしまうと、やはり妥協で後味が悪いし、後悔もすると思います。

今僕が恐れているのは、企業の選考で落とされることです。もちろん企業との相性の合致という側面は少なからず合否に影響するとは思いますが、やはり、落ちた時は非常に自分に自信がなくなります。

やはり自分も客観的にみても目標値が高いので、世間一般でいう難関企業群に挑戦しているのですが、落ちた時のダメージは計り知れない一方、受けなかったら確実に後悔するということが明白に分かっているので、毎日葛藤しています。

就活をはじめると思った以上に自分の能力の無さに気づくものです。
ただくよくよ考えても仕方ないので、僕の尊敬している起業家の方が言ったように、過去を振り返らず、未来を悩まず、今を一生懸命がんばります。


2015年4月23日木曜日

Instagram連動はじめました

いろいろと旅行に行ったりして(モロッコ、スイス、フランス、ベルギー)忙しかったのと、試験勉強で全くブログ更新していませんでした。たびたびながら申し訳ないです。

さて、本来なら一つ一つの出来事について記事を書くべきなのですが、最近はInstagramなる便利な写真アプリがありまして、最近はもっぱらそっちの方で近況をアップデートしている状態です。(時々時系列はおかしいですが、そこはご了承ください)

ということで、ブログをごらんになると上部に写真の小さなサムネイルが写っていると思いますが、気になった写真をクリックしていただけると、別のページが開いて大きな写真が見れます。

これで記事の更新は無くても何をしているのかよりこまめに近況が報告できると思うので、よろしくお願いいたします!

2015年3月23日月曜日

LSEのランチタイム・コンサート

最近、いつもいつも勉強に関連することばかり書いていて、あたかも僕がガリ勉(笑)のような印象を与えていると最近気づいたので、普段僕が大学でどうやって息抜きしてるかについて今回は書いてみたいと思います。

LSEのキャンパスのなかでも最も古いものの一つにOld Building(そのままですね(笑))という建物があるのですが、その6階にかの有名な文豪ジョージ・バーナード・ショーを記念したShaw Libraryという場所があります。

ちなみにバーナード・ショーはフェビアン協会のメンバーでLSEの創設メンバーの一人でもありました。

Shaw Library

さて、写真の通り、なかなかおしゃれな感じの場所なので、LSEは使わなかったら宝の持ち腐れと最近無料で毎週木曜日にクラシック音楽のコンサートを開くようになりました。

しかも、LSEの学生かどうかに関わらず「無料」なんです!

僕が今まで行ったのだと、ピアノ、チェロ、バイオリンなどと様々な楽器の演奏家たちがでショスタコービッチからバッハまでクラシックの中でも新旧問わず、美しい音色を披露してくれました。

Shaw libraryはそんなに広くないのですが、後ろの方は写真にもある豪華なソファに座ることができ、授業で疲れたことに来ると、クラシックの名曲を聴きながらまどろむことができます。

ロンドンにいる方はLSEで勉強していなくてもくる価値は大だと思います!



2015年3月5日木曜日

国際社会って何だろう?

日本ではメディアや評論家が当たり前のように「国際社会」(International society)という言葉を使いますが、国際社会という言葉の起源を知っていますか?

実は国際社会という概念自体がかなり新しいもので、国際関係論では英国学派と呼ばれる学者たちが最初に提唱しました。国際社会は言い方を変えれば国家が主体の社会です。英国学派の学者たちは世界政府や国家を超越する権力機構が無いのにも関わらず国家がある程度秩序を持った行動することに注目しました。

そこで、英国学派は国家間の共通の規則、価値観、利益がありそれが国際政治に社会的な要素を与えると考えました。具体的に言えば、国際法や武力行使の禁止、共通の外交儀礼などがそれらに含まれるといえます。

しかしながら、現代の時代のコンテクスト(文脈)で国際社会という言葉を考える時は気をつけなくてはいけません。英国学派が国際社会の概念を考えた時点ではそもそも国として認識されていたの西ヨーロッパの国々とアメリカ、そして日本を含む一部のアジアの国だけでした。

いまの世界をみてみると現時点で国連加盟国は194カ国、明らかに当初国際社会論が議論されていた時点とは状況が違います。はたして今の世界で全ての国が共有する価値観、利益がどれだけあるでしょうか?

トルコから来ている同級生が国際的な人権保護の取り組みに関しての授業でこういいました。「国際社会って言葉は絶対に194カ国全てを含むものじゃない。現実は国際社会は一部の先進国の集合体だ。国際社会という言葉は西側諸国に利用されている!」と。

皆さんはどう思いますか?

2014年12月31日水曜日

年の終わりの雑感など

時が経つのは本当に早いもので、イギリス時間で今この投稿を書いている瞬間に12月31日になりました。

今年は本当にいろんなこと、いろんなところに行きました。一月のマルタ旅行に始まり、イースターにはベルギーとルクセンブルグ、夏にはインド、シンガポール、台湾そして今月にはポルトガルなど、知らないうちに1年で7カ国も行っていました。

また特に夏にはアジア太平洋ユース会議に始まり、京都グローバルリーダー育成カップ、そしておそらく自分が今まで参加した会議で最大規模のハーバードアジア・国際関係プロジェクトの会議など多くのイベントがあったとともに、個人レベルではJapan Times STに記事を掲載していただいたり、これまで通り地元・広島での報告会はもとより、大阪・東京においても自分の留学経験を発表する貴重な機会を頂きました。

また、人生で初めて就職活動を経験し、いきなり受けた戦略コンサルティングファーム(PWC Strategy&) は身の程知らずで正社員採用に挑戦し、そのハードルの高さに一時は自信を失いましたが、二回目の挑戦では有り難いことにフェルミ推定やケース面接の対策ができていなかったにも関わらず、なんとか4次面接まで耐え忍んでDeloitte Consultingから夏期インターンシップのオファーを頂きました。

そして何より、ついに今年で20歳になったということが自分の中では大変大きいです。もちろんイギリスでは18歳でほとんど大人と同等の権利・義務を得るのですが、日本人として「社会的に」ついに大人の仲間入りをしたという事実は他の何よりも重く感じました。今まで、自分で言うのは何ですが、「子供としては・10代としては」すごいといろんな方に言っていただいてきましたが、もうこれからはただの大人です。まだまだ精神的には成熟していませんが、「ただの」大人として自分がどうやってバリューを題していくのかというのは今の自分に取って大きな課題です。

今学期の終盤、本当にエッセイやプレゼンテーションに追われて非常に苦しかったのですが、そのときにふと「もし日本の大学に入っていたら大学2年生でこんなに苦しいほど勉強していなかったかもしれない。今これだけ勉強させられる環境にいるのはむしろ幸運なことではないか。」と思いました。この思いは特に国際関係学の単位を今年初めて取った同級生にエッセイのアドバイスをしている時に強くなりました。なぜなら、自分が話しているうちに自分でも驚くほど国際関係学の知識がついていることに気づいたからです。

年の締めくくりとして自分が強く思うのは、「今自分がおかれている環境で自分の全力を尽くす、今を懸命に生きる」ことが一番大切なことだということです。確かにいろんなことを心配したり、悩んだりするのは時として良いことです。しかし最終的に今、この瞬間の課題に全力で取り組み続ければ、最終的に良い方向に向かっていくのではないでしょうか。そんなことを考えながら、今年の終わりを迎えた僕でした。

2014年10月26日日曜日

ロンドンのような国際都市で学ぶことのデメリット

ロンドンは世界有数の国際都市であることは誰の目にとっても明らかですが、留学生の視点でロンドンをみる場合はいくつかの点に気をつけなくてはなりません。

まず第一に、ロンドンはどの民族、人種もある一定の数がいるということです。これはつまり、簡単に自分の出身国の集団を見つけることが出来るため現地の人や他のバックグラウンドの人とほとんど交わらずに暮らせてしまうということです。

僕は高校時代に留学生・非白人がほとんど居ないウェールズで学んだため、ロンドンに来たばかりの頃は日本人がたくさんいる環境に感動しましたが、その居心地の良さにかまけてしまっては、留学している意味がないと思います。なぜなら留学で身に付くスキルで最も重要なスキルは異なる文化的環境に適応する能力だといっても過言ではないからです。

第二にイギリス留学という大きな視点で考えたときに、ロンドンに最初に来てしまうと他の場所にいかない上に、ロンドンの環境がイギリスのスタンダードと勘違いしてしまうことです。他の都市出身のイギリス人に言わせればロンドンは「全く別もの」です。ロンドンだけを知ってイギリスを語るのは非常に短絡的です。ちなみにスコットランドの独立運動も反ロンドン的な要素があったことは広く認知されています。

また、ロンドンは国際的な環境なため、「ごく普通の」イギリス人の考えに触れる機会が少ないとも言えます。地方都市にいけば今でもアジア人に対する差別などは当たり前のようにあります。こうした現実もロンドンの外に出て住んでみなければ分かりません。

ロンドンに留学することの魅力はたくさんありますが、視点を変えてみると、国際都市であるがための問題も理解することが大切です。

2014年10月23日木曜日

読むことの重要性

すでに書いたかもしれませんが、イギリスの大学(特に人文・社会科学系の学部)では毎週、山ほどの学術論文・書籍・法律を読まされます。

この夏に日本に帰って日本の大学生と話していて、イギリスの大学生が3年間でとれる科目数はかなり少ないということに気づいたのですが、それ自体が全く異なる授業の進め方に基づくもので、特にその原因になっているのがリーディングの量の多さだと思います。

一見すると、リーディングは生徒の負担ばかりが増えて、時間を食う非効率的な学び方かも知れません。しかし、僕は今苦しくても、これだけのリーディングを大学生という一番大切な時期に出来るのは非常に重要だと感じています。

例えば、国際法の父といわれるグロティウスの「自由海論」を大学2年生で全部読まされる大学が日本であるでしょうか。また大学1年生でマルクスの「資本論」を教科書やゼミのプリント以外で原文を読まされる環境が日本の大学にあるでしょうか。

確かにこれらの古典的名著は非常に何回で教授の導きなしではなかなか理解できないものです。その一方で、それらが何世紀を経ても名著なのはそれだけ普遍的な価値と重要性があるからであり、自分の思想が形成されていく大学生の時期に幅広くそうした文章に触れられるというのは有り難いことだと思います。

現代では簡単にいろんな情報の要約が手に入り、古典的名著に関しても多くの解説本が出ています。しかし、大学のゼミでディスカッションをすれば同じチャプターを読んでも多種多様な解釈があることが分かるように、自分自身の解釈を持つことはやはりたいせつなのではないでしょうか。

確かにリーディングにおわれるのはいつも苦しいものですが、その知的格闘の先には真の意味での知的充足感が待っている気がします。